先日書きました荼吉尼天のお供物。
この
「しとき」
についてご質問がありましたので少し書いておきます。
「しとき」
とは、ひとつの次第には 「餅」 と記しています。
また、
「蒸して練った餅米」
「餅状にした芋の発酵食品」
とも学んでおります。
和漢三才図会という日本の書物には
「しとき餅」 とは 「御鏡是也」
と記しています。
「しとき」 という言葉は日本の北部、アイヌ文化に伝わっており、栗や芋、黍を団子にしたものを 「しと」 と呼び、首飾りの装飾に使います円い金属、円鏡を 「しとき」 と言うようです。
このようなことから 「しとき」 には
「丸餅」
を、供えております。
ただ単に 「丸餅」 と書くより、本来の意義を知って供えること。
これが大切であり、後の世に伝えていかなければいけません。
古次第に 「しとき」 と書いてあった場合、それが分かるように伝える、単に丸餅だと言ってしまわないようにしなければいけません。
今時の形にすること自体には問題はありません。
ただそれは、本来の形を知っていればという事を忘れてはいけません。
合掌
Facebookページ http://facebook.com/renryuin/
Twitter http://twitter.com/renryuin/
インスタ http://instagram.com/renryuin/
この
「しとき」
についてご質問がありましたので少し書いておきます。
「しとき」
とは、ひとつの次第には 「餅」 と記しています。
また、
「蒸して練った餅米」
「餅状にした芋の発酵食品」
とも学んでおります。
和漢三才図会という日本の書物には
「しとき餅」 とは 「御鏡是也」
と記しています。
「しとき」 という言葉は日本の北部、アイヌ文化に伝わっており、栗や芋、黍を団子にしたものを 「しと」 と呼び、首飾りの装飾に使います円い金属、円鏡を 「しとき」 と言うようです。
このようなことから 「しとき」 には
「丸餅」
を、供えております。
ただ単に 「丸餅」 と書くより、本来の意義を知って供えること。
これが大切であり、後の世に伝えていかなければいけません。
古次第に 「しとき」 と書いてあった場合、それが分かるように伝える、単に丸餅だと言ってしまわないようにしなければいけません。
今時の形にすること自体には問題はありません。
ただそれは、本来の形を知っていればという事を忘れてはいけません。
合掌
Facebookページ http://facebook.com/renryuin/
Twitter http://twitter.com/renryuin/
インスタ http://instagram.com/renryuin/