私たち僧侶は毎日の勤めの中に「施餓鬼供養」があります。
この「施餓鬼供養」は、通常日暮れに行います。
これは、日中、日が昇っている間はどんなに供養しても餓鬼が出てこれないため施しを受けられません。
日が沈み、暗くなった頃を見計らって行います。
顕教では供物(そなえもの)をし経文を唱え供養するしか方法がありませんが、密教では毎時、餓鬼を直接呼んで供養いたします。
この餓鬼に施す功徳は大変大事なことで、私の大師匠は、下手な護摩を焚くよりずっと効験があると仰っていたそうです。
また、護摩を焚いたら必ず神供をし、実類の十二天とその眷属を供養しなければいけません。
しかし、口決に毎日施餓鬼供養を行っていれば神供をしなくてもよいと習っております。
これは、しなくてもよいという事ではなく、するべきだが出来なかった事のことで、しなくてもよいという事ではありません。
それ程、施餓鬼供養には功徳があるということです。
また、実類の十二天の眷属が餓鬼が近しい存在だということも言えます。
ご祈祷に効験を求めるのであれば日々の施餓鬼を積み重ね、特別な祈願には自行とは別に施餓鬼をすることが丁寧なご祈祷と言えます。
護摩には神供をする。
如来から鬼神、餓鬼に至るまで平等に供養することを日頃から私たち行者は心得て実践していかなければいけません。
暑さ寒さ、天候に関係なく、施餓鬼に勤めます。合掌
インスタ http://instagram.com/renryuin/
この「施餓鬼供養」は、通常日暮れに行います。
これは、日中、日が昇っている間はどんなに供養しても餓鬼が出てこれないため施しを受けられません。
日が沈み、暗くなった頃を見計らって行います。
顕教では供物(そなえもの)をし経文を唱え供養するしか方法がありませんが、密教では毎時、餓鬼を直接呼んで供養いたします。
この餓鬼に施す功徳は大変大事なことで、私の大師匠は、下手な護摩を焚くよりずっと効験があると仰っていたそうです。
また、護摩を焚いたら必ず神供をし、実類の十二天とその眷属を供養しなければいけません。
しかし、口決に毎日施餓鬼供養を行っていれば神供をしなくてもよいと習っております。
これは、しなくてもよいという事ではなく、するべきだが出来なかった事のことで、しなくてもよいという事ではありません。
それ程、施餓鬼供養には功徳があるということです。
また、実類の十二天の眷属が餓鬼が近しい存在だということも言えます。
ご祈祷に効験を求めるのであれば日々の施餓鬼を積み重ね、特別な祈願には自行とは別に施餓鬼をすることが丁寧なご祈祷と言えます。
護摩には神供をする。
如来から鬼神、餓鬼に至るまで平等に供養することを日頃から私たち行者は心得て実践していかなければいけません。
暑さ寒さ、天候に関係なく、施餓鬼に勤めます。合掌
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