昨日の続きです。
8番札所を後にし、9番札所へ。

名古屋市中区にあります「稲園山七寺」真言宗智山派のお寺さまです。
こちらのお寺さまは戦前は、本堂、太子堂、聖天堂、御影堂、辯天堂、三重塔、庫裏、その他諸堂が建ち並ぶ、大寺だったそうです。
空襲により焼けてしまい、国宝だった阿弥陀三尊の内二体、毘沙門天、持国天は焼失、かろうじて、正観音、勢至菩薩像が難を逃れ、現本堂に安置されています。
開山は行基さまですがその後、経緯により父の姿を見ずに亡くなった子を弔うために父が七区の佛殿と十二の僧坊を建立しました。
また、中国でもわからなかった経典が七寺さまで発見されたそうです。
次の10番札所はすぐ近くですので徒歩で向かいます。

七寺さまと同じく中区にあります「北野山真福寺 宝生院」真言宗智山派のお寺さまです。
こちらのお寺さまは大変有名なお寺さまで、通称「大須観音」です。
元々は中島観音と言い、尾張国長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市大須)にありました。
御開山は能信上人さまです。
戦国の世となり、織田信長公から寺領五百石を寄進、徳川家康公に至っては、名古屋を建設経営するにあたり、慶長十七年、まず第一に今のこの地に移されたそうです。
この日も多くの参詣者で賑わっていました。
そして納経所も多くの方が並んでおられました。
お寺にたくさんの方が集まることは良いことです。
多くの方が仏縁に恵まれますことを祈り、次の札所、11番へ。

同じく中区にあります「成田山萬福院」真言宗智山派のお寺さまです。
初健は清洲、名古屋築城遷府の際、以前の地に移り、その後、平成14年に今の場所に移りました。
空襲で焼失する以前の本尊はお大師さま作、十一面観世音菩薩さまです。
その後、熱心な信者さまの努力により再建、千葉の大本山成田山新勝寺さまよりお不動さまのご分身を勧請してご本尊とし、山号を成田山と改め、栄のなりたさんと多くの方から親しまれております。
本堂の中で素晴らしいお不動さまと四大明王さまを目の前にゆっくりとお勤めをさせていただき、本日最後の予定をしております12番札所へ。

同じく中区にあります「如意山福生院」真言宗智山派のお寺さまです。
通称「袋町のお聖天さま」で親しまれており、私自身も何度かお詣りさせていただいております。
福生院さまのお不動さまは、もと信州(長野県)上田城主真田家の守護尊としてお祀りされていたのを、延宝五年、上田郡田中の長久寺建立の際、勧請されて奉安、その後、不思議なご縁で今に至るそうです。
開山は順誉上人さま、初健当時は愛知郡中村の里で大聖歓喜天を祀り、日々熱心に供養されたそうです。
その後、約二百年、時の住職宥伝上人さまによって、今の地に移されたようです。
数ヶ寺知っておりますが、本尊が聖天さまというお寺は珍しいです。
本日最後の参拝ということもあり、訪れたのが夕方でした。
本堂からは夕方のお勤めが聞こえてきます。
本来は当たり前ですが、今時は朝夕にお寺からお勤めを耳にすることが少ないと檀信徒さまからよく聞きます。
こうやってお寺さまが佛さまに勤めるお姿を見ると心が癒されます。
無事「東海三十六不動尊霊場巡り修行 其二」を終えました。
残すところ二十四ヶ寺。
自坊の本尊、お不動さまに無事帰山の感謝をお伝えし、次回の良縁を祈ります。合掌
インスタ http://instagram.com/renryuin/
8番札所を後にし、9番札所へ。

名古屋市中区にあります「稲園山七寺」真言宗智山派のお寺さまです。
こちらのお寺さまは戦前は、本堂、太子堂、聖天堂、御影堂、辯天堂、三重塔、庫裏、その他諸堂が建ち並ぶ、大寺だったそうです。
空襲により焼けてしまい、国宝だった阿弥陀三尊の内二体、毘沙門天、持国天は焼失、かろうじて、正観音、勢至菩薩像が難を逃れ、現本堂に安置されています。
開山は行基さまですがその後、経緯により父の姿を見ずに亡くなった子を弔うために父が七区の佛殿と十二の僧坊を建立しました。
また、中国でもわからなかった経典が七寺さまで発見されたそうです。
次の10番札所はすぐ近くですので徒歩で向かいます。

七寺さまと同じく中区にあります「北野山真福寺 宝生院」真言宗智山派のお寺さまです。
こちらのお寺さまは大変有名なお寺さまで、通称「大須観音」です。
元々は中島観音と言い、尾張国長岡庄大須郷(今の岐阜県羽島市大須)にありました。
御開山は能信上人さまです。
戦国の世となり、織田信長公から寺領五百石を寄進、徳川家康公に至っては、名古屋を建設経営するにあたり、慶長十七年、まず第一に今のこの地に移されたそうです。
この日も多くの参詣者で賑わっていました。
そして納経所も多くの方が並んでおられました。
お寺にたくさんの方が集まることは良いことです。
多くの方が仏縁に恵まれますことを祈り、次の札所、11番へ。

同じく中区にあります「成田山萬福院」真言宗智山派のお寺さまです。
初健は清洲、名古屋築城遷府の際、以前の地に移り、その後、平成14年に今の場所に移りました。
空襲で焼失する以前の本尊はお大師さま作、十一面観世音菩薩さまです。
その後、熱心な信者さまの努力により再建、千葉の大本山成田山新勝寺さまよりお不動さまのご分身を勧請してご本尊とし、山号を成田山と改め、栄のなりたさんと多くの方から親しまれております。
本堂の中で素晴らしいお不動さまと四大明王さまを目の前にゆっくりとお勤めをさせていただき、本日最後の予定をしております12番札所へ。

同じく中区にあります「如意山福生院」真言宗智山派のお寺さまです。
通称「袋町のお聖天さま」で親しまれており、私自身も何度かお詣りさせていただいております。
福生院さまのお不動さまは、もと信州(長野県)上田城主真田家の守護尊としてお祀りされていたのを、延宝五年、上田郡田中の長久寺建立の際、勧請されて奉安、その後、不思議なご縁で今に至るそうです。
開山は順誉上人さま、初健当時は愛知郡中村の里で大聖歓喜天を祀り、日々熱心に供養されたそうです。
その後、約二百年、時の住職宥伝上人さまによって、今の地に移されたようです。
数ヶ寺知っておりますが、本尊が聖天さまというお寺は珍しいです。
本日最後の参拝ということもあり、訪れたのが夕方でした。
本堂からは夕方のお勤めが聞こえてきます。
本来は当たり前ですが、今時は朝夕にお寺からお勤めを耳にすることが少ないと檀信徒さまからよく聞きます。
こうやってお寺さまが佛さまに勤めるお姿を見ると心が癒されます。
無事「東海三十六不動尊霊場巡り修行 其二」を終えました。
残すところ二十四ヶ寺。
自坊の本尊、お不動さまに無事帰山の感謝をお伝えし、次回の良縁を祈ります。合掌
インスタ http://instagram.com/renryuin/