密教僧にとっての課題、効験はどうしたら現れるのか❓
結論から言えば、毎日、丁重に如法の修法を重ねるという事が絶対条件の一つとなります。
私自身、これまで多くの奇跡、有り得ない事を多く経験してきました。
加持祈祷は奇跡を起こすことは、間違いありません。
しかし、加持祈祷は魔法ではありません。
どんな時でもどんな状況にあっても、その効験が現れるとは限りません。
効験が現れるか現れないか、その可能性をどれだけ限り引き上げられるかは行者次第です。
先に書きましたようにどれだけ日々修法に勤めているかで大きく左右されます。
もし、そういった事なしに効験が出ているとすれば、それは行者自身の生命力、命を削って出ているものだと学んでおります。
歳が若い頃はよいが、歳をとればそれは行者の身体に大きく負担となります。
そうならないための日々の勤めです。
また、密教僧にとっての読経は勤めに入りません。
日々の修法は当たり前の事ですが、読経はもっとして当たり前の事です。
私の場合、遠方へ出る機会が頻繁にあります。
ただ、日帰りであれば朝、修法しない事はまずありません。
午前5時に出るのであれば3時半には起き、一座修法して自坊を出立いたします。
午前3時に出るのであれば1時半には起き、修法して出立いたします。
泊まりであれば、念持佛、次第を持って出立、出先で修法いたします。
できる限りではなく、必ず修法するよう勤める心構えが祈祷を専門とする密教僧には必要と考えます。
法の力は素晴らしいですが、決して甘く見てはいけない、油断してはいけないと、最初の師匠がよく言っておりました事を覚えております。
時々、このような事を思い出し、自分に再認識させて、日々、神仏に勤めさせていただいております。合掌
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結論から言えば、毎日、丁重に如法の修法を重ねるという事が絶対条件の一つとなります。
私自身、これまで多くの奇跡、有り得ない事を多く経験してきました。
加持祈祷は奇跡を起こすことは、間違いありません。
しかし、加持祈祷は魔法ではありません。
どんな時でもどんな状況にあっても、その効験が現れるとは限りません。
効験が現れるか現れないか、その可能性をどれだけ限り引き上げられるかは行者次第です。
先に書きましたようにどれだけ日々修法に勤めているかで大きく左右されます。
もし、そういった事なしに効験が出ているとすれば、それは行者自身の生命力、命を削って出ているものだと学んでおります。
歳が若い頃はよいが、歳をとればそれは行者の身体に大きく負担となります。
そうならないための日々の勤めです。
また、密教僧にとっての読経は勤めに入りません。
日々の修法は当たり前の事ですが、読経はもっとして当たり前の事です。
私の場合、遠方へ出る機会が頻繁にあります。
ただ、日帰りであれば朝、修法しない事はまずありません。
午前5時に出るのであれば3時半には起き、一座修法して自坊を出立いたします。
午前3時に出るのであれば1時半には起き、修法して出立いたします。
泊まりであれば、念持佛、次第を持って出立、出先で修法いたします。
できる限りではなく、必ず修法するよう勤める心構えが祈祷を専門とする密教僧には必要と考えます。
法の力は素晴らしいですが、決して甘く見てはいけない、油断してはいけないと、最初の師匠がよく言っておりました事を覚えております。
時々、このような事を思い出し、自分に再認識させて、日々、神仏に勤めさせていただいております。合掌
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