当院では毎月6日に大徳明王様の調伏護摩を焚いております。
「大徳明王調伏護摩法」「調伏法」
この言葉を調べてみますと
・「怨敵は調伏され、狂い死ぬか病死するか、はたまた偶然による突然の死が訪れる」
・「三角檀を作り、真言一万遍。怨敵の人形を用いると言われる。呪いの力は大きく、敵は病を得たのち横死する。」
・「まじないによって人をのろい殺すこと」
・「神仏に祈り人を呪い殺すこと」 云々
この類いの言葉が多く出てきます。
とくには「呪い」に関係することが多いように感じます。
実際には密教における「調伏法」は一切「呪い」とは関係ありません。
悪心を伏す、魔を伏す、例えば鎮護国家のための「調伏法」であれば国にもたらす悪影響を伏すといったことが本来の「調伏法」となります。
しかし「悪」を伏すこの強力な力を個々のもの、また人などに向けて修法してしまえばその力は壮絶に感じます。
国に入ってくる悪を伏す力を個々に向けて修法する、こいった間違った使い方が「呪い」に繋がる始まりになったと考えます。
実際には戦時中、敵国に壇を向け、調伏護摩法を修法していた話なども耳にしたことがあります。
また一説には第二次世界大戦中、敵国に向けて調伏護摩法を修法した阿闍梨様が護摩中、お堂ごと火事となり大火傷をしてしまい、この阿闍梨様は「第二次世界大戦は多くの犠牲者を出し、日本は負ける」と予言されたそうです。
現実に長崎、広島に多大な被害を受け終戦となりました。
「調伏法」=「呪い」
私はこの誤解をもっと多くの人に知ってもらいたい、また今の自国を守るには必要な法と感じ、隠す事なくこの法を修法し、少しでも自国の安泰を祈っております。
当院では加持祈祷を主に活動しておりますが、個人の依頼で「調伏法」を修することはありません。
「呪い」ではなく、正しく清い姿勢で鎮護国家のため「調伏法」を修法し、悪心、悪行を戒め、伏すための法だと伝えていきたいと思います。合掌
「大徳明王調伏護摩法」「調伏法」
この言葉を調べてみますと
・「怨敵は調伏され、狂い死ぬか病死するか、はたまた偶然による突然の死が訪れる」
・「三角檀を作り、真言一万遍。怨敵の人形を用いると言われる。呪いの力は大きく、敵は病を得たのち横死する。」
・「まじないによって人をのろい殺すこと」
・「神仏に祈り人を呪い殺すこと」 云々
この類いの言葉が多く出てきます。
とくには「呪い」に関係することが多いように感じます。
実際には密教における「調伏法」は一切「呪い」とは関係ありません。
悪心を伏す、魔を伏す、例えば鎮護国家のための「調伏法」であれば国にもたらす悪影響を伏すといったことが本来の「調伏法」となります。
しかし「悪」を伏すこの強力な力を個々のもの、また人などに向けて修法してしまえばその力は壮絶に感じます。
国に入ってくる悪を伏す力を個々に向けて修法する、こいった間違った使い方が「呪い」に繋がる始まりになったと考えます。
実際には戦時中、敵国に壇を向け、調伏護摩法を修法していた話なども耳にしたことがあります。
また一説には第二次世界大戦中、敵国に向けて調伏護摩法を修法した阿闍梨様が護摩中、お堂ごと火事となり大火傷をしてしまい、この阿闍梨様は「第二次世界大戦は多くの犠牲者を出し、日本は負ける」と予言されたそうです。
現実に長崎、広島に多大な被害を受け終戦となりました。
「調伏法」=「呪い」
私はこの誤解をもっと多くの人に知ってもらいたい、また今の自国を守るには必要な法と感じ、隠す事なくこの法を修法し、少しでも自国の安泰を祈っております。
当院では加持祈祷を主に活動しておりますが、個人の依頼で「調伏法」を修することはありません。
「呪い」ではなく、正しく清い姿勢で鎮護国家のため「調伏法」を修法し、悪心、悪行を戒め、伏すための法だと伝えていきたいと思います。合掌