先日、聖天護摩、荼枳尼天護摩について聞かれました。
まず、正しい密教には 「天部尊」 に護摩供はありません。
と、いうより、厳密には 「解脱をしていない天部尊」 は、護摩の供養を受けられません。
招いても、護摩の結界の中には入れません。
護摩の火は、見た目は火ですが、実際には、正しく如法に修法ができていれば 「佛の智慧」 です。
供養法とは、直接、神仏を招いて様々食事で持て成し、印契によって悟り、誓願、功徳等の象徴を表現します。
分かりやすく言えば、家に入れない者をどうやって持て成すのか❓
こう言えば理解しやすいように感じます。
しかし、浅い智慧では、同じ 「天部尊」 であります、辯才天、大黒天、毘沙門天の護摩は何故❓という疑問が出てきます。
私がいただいております伝には、辯才天、大黒天、毘沙門天の三尊は 「別格なり」 と学び、いつでも解脱できるが、敢えて天部という位置に身を置いて居る、故に護摩があると聞いております。
また、この三尊につきましては、古くから伝わる次第も残っております。
儀軌や聖教には、吉祥天、訶梨帝母、摩利支天、北斗の護摩も存在いたします。
世天段で供養する十二天や火天段の火天、この辺りは権実二類の事をよく学べば理解ができます。
密教は儀軌に載っていることが全てです。
「聖天護摩」 「荼枳尼天護摩」
は、以上のことから正しい密教では、絶対に成り立ちがありえません。
阿闍梨として、正しい法を正しく伝え、如法に修法していかなければいけません。合掌
Facebookページ http://facebook.com/renryuin/
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まず、正しい密教には 「天部尊」 に護摩供はありません。
と、いうより、厳密には 「解脱をしていない天部尊」 は、護摩の供養を受けられません。
招いても、護摩の結界の中には入れません。
護摩の火は、見た目は火ですが、実際には、正しく如法に修法ができていれば 「佛の智慧」 です。
供養法とは、直接、神仏を招いて様々食事で持て成し、印契によって悟り、誓願、功徳等の象徴を表現します。
分かりやすく言えば、家に入れない者をどうやって持て成すのか❓
こう言えば理解しやすいように感じます。
しかし、浅い智慧では、同じ 「天部尊」 であります、辯才天、大黒天、毘沙門天の護摩は何故❓という疑問が出てきます。
私がいただいております伝には、辯才天、大黒天、毘沙門天の三尊は 「別格なり」 と学び、いつでも解脱できるが、敢えて天部という位置に身を置いて居る、故に護摩があると聞いております。
また、この三尊につきましては、古くから伝わる次第も残っております。
儀軌や聖教には、吉祥天、訶梨帝母、摩利支天、北斗の護摩も存在いたします。
世天段で供養する十二天や火天段の火天、この辺りは権実二類の事をよく学べば理解ができます。
密教は儀軌に載っていることが全てです。
「聖天護摩」 「荼枳尼天護摩」
は、以上のことから正しい密教では、絶対に成り立ちがありえません。
阿闍梨として、正しい法を正しく伝え、如法に修法していかなければいけません。合掌
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