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桶狭間辯才天 蓮龍院

Author:桶狭間辯才天 蓮龍院
真言宗僧侶(阿闍梨)
自房(お寺)の活動、行者の気侭な日記、密教の修法についてなどブログに載せていきます。

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有松天満社

今日は桶狭間から観て隣山となります山頂の有松天満社の秋季大祭です。


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この大祭では、

「布袋車(東町)」 「唐子車(中町)」 「神功皇后車(西町)」 にあります3台の山車が街を練り歩きます。


山車1

山車2

山車3


この3台の山車は、名古屋市の有形民俗文化財の指定を受けていますが、平成26年には、祭り全体が名古屋市指定無形民俗文化財となっております。

また、有松山車会館では、山車1台を毎年交代で展示し、土、日、祝日に公開をしているようです。

天満社が有松に勧請された年代は、江戸時代後期という説になっております。

有松天満社の御祭神は、菅原道真公です。

道真公は、文人として優れた才能の持ち主で、学者出身の政治家として卓越した手腕を発揮し、昌泰2年(889年)右大臣に任命され、左大臣の藤原時平と並んで国家の政務を統括されていました。

ところが、突如藤原氏の策謀により、昌泰4年(901年)大宰府へ権師として左遷され、そのわずか2年後、大宰府政庁で生涯を閉じました。

その時、亡骸を牛車に乗せて運ぼうとしたが牛が伏して動かず、これは道真公の御心であろうと、その地に埋葬されました。

道真公の死後、都では天変地異が多発し、朝廷は道真公の祟(たた)りではないかと恐れ、道真公を無罪とし、大宰府には 「天満大自在天神」 京都には 「北野天満宮天神」 の神号が与えられ、大宰府天満宮と北野天満宮が晴れて設立されました。

有松天満社には、大宰府天満宮の成り立ちのいわれから伏せた牛の石像が数体、道真公の歌 『東風(こち)吹かば ・・・』 が刻まれた筆塚、その前に使い古した筆を納める大きな納筆台があります。


有松天満社1


道真公は丑(うし)年の生まれ(承知十二年(845年)六月二十五日 「丑の年の丑の日の丑の刻」 生であるという伝説的な話)や、 先にも書きました、大宰府で生涯を閉じ、亡骸を牛車に乗せて運ぶ途中、牛が伏して動かなくなり 「これは道真公の御心であろう」 と、その地に埋葬されたことなどから、牛は 「天神様のお使いの牛(神使)」 「前進」 「隆盛」 「幸福」 の象徴として夢を叶えてくれると云われ、道真公を祀る天満社には臥牛が置かれています。

この臥牛を撫でると、ご自身の身体と同じ臥牛の部位を祈願しながら手で撫でれば、身体は健全に病気は快癒すると云われ、また筆で頭部を 「頭が良くなりますように」 と撫でれば、知恵が付き賢くなる云われています。

天満社には、梅が植えてありますが、これは梅花を愛された道真公が、太宰府左遷の時に詠んだ有名な歌、“東風(こち)吹かば 匂いおこせよ 梅の花 主なしとて 春な忘れそ”に応えて、その梅が道真公を慕って、一晩のうちに京より太宰府に飛んでいったという 「飛梅伝説」 によるものです。

この事からなのか、天満社の神紋は、梅があしらわれた梅鉢紋となっています。

あと、天満社には 「鷽」 の言い伝えがあります。

鷽は鳥の一種、日本の130円切手のデザインにも使われている美しい鳥で、菅原道真公の愛鳥だったと伝えられています。

道真公が大切な神事を行っていた時に無数の蜂が襲来し、そこへ鷽が飛来して蜂をすべて食べ尽してくれたという伝説より 「災いや悪事を嘘(鷽)にする」 と云われ、災いを排除してくれたいわれから道真公のご仁徳の賜物で、ついてしまった嘘(鷽)や災いが真(まこと)や幸運に換える縁起物として祀り伝わっています。


こう言ったいわれのある天満社が何故、この地に祀られたのか❓

江戸時代後期の 『尾張名所図会』 によれば次のように記されているそうです。

「文章嶺(ふみのみね):祇園寺の後の山をいふ。天満宮を安置す。神廟もと祇園寺境内にありしが、寛政の初め、寺僧卍瑞(まんずい)の開基にして、数千人より捧げし詩歌文章等をこの山頂に埋め置き、文政七年(1824年)、その上に今の神廟を基立し、あらたに八ツ棟造りの高廟を構え、以前に百倍の荘厳とはなりぬ。こは当所有信のやから、莫大な資材を寄附せしとぞ。それよりして文章嶺と称す。山の中腹に滝あり。いろはの滝という。これ御手洗なり。また瑞垣の内に、冷泉為泰卿御自筆の御詠をそのまま石に彫りて建つ。今左に記して以て世に公にす。」

詩歌を各地の山頂に埋め置き、信仰を広める一環としてと考えられます。


今日は、ご縁あり、身近なところに祀られる天満社に、感謝と地域の繁栄、守護を願い、手を合わせてきました。合掌


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