今日は告別式。
大変恐縮ながら脇導師を勤めさせていただきました。
送り出すことに僅かながら携わる事ができ感謝です。
合掌
人は 「死」 = 「終わり」 では、ありません。
「死」 = 「始まり」
であり、人間界という地獄から佛の世界への旅たちです。
天命を全うした故人にとっては幸せなことです。
悔やむことなど一切ありません。
悔やみは残された煩悩を持つ人間界の人の心です。
故人が残された人に一言言えるなら、
「私のことを悔やまず、笑顔で送り出して欲しい。そして幸せな時間を過ごし、笑顔を見せて欲しい。」
こう言うでしょう。
そうは言っても人の心はそうはいきません。
できる限りそうあるために、生きている間に心の修行をするのです。
喜び、怒り、悲しむ、喜怒哀楽がある事が人として自然な姿です。
そしてそれを否定してはいけません。
悟りとは、煩悩を消すことにあらず、受け入れることが第一歩です。
辛い修行とは、そこに気づくための事柄です。
生前、お世話になった師僧の父。
式中、少し涙が出そうになりましたが怺え、感謝の心で送り出しました。
「ありがとうございました」 と、心より御礼を伝える事ができました。
合掌
Facebookページ http://facebook.com/renryuin/
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大変恐縮ながら脇導師を勤めさせていただきました。
送り出すことに僅かながら携わる事ができ感謝です。
合掌
人は 「死」 = 「終わり」 では、ありません。
「死」 = 「始まり」
であり、人間界という地獄から佛の世界への旅たちです。
天命を全うした故人にとっては幸せなことです。
悔やむことなど一切ありません。
悔やみは残された煩悩を持つ人間界の人の心です。
故人が残された人に一言言えるなら、
「私のことを悔やまず、笑顔で送り出して欲しい。そして幸せな時間を過ごし、笑顔を見せて欲しい。」
こう言うでしょう。
そうは言っても人の心はそうはいきません。
できる限りそうあるために、生きている間に心の修行をするのです。
喜び、怒り、悲しむ、喜怒哀楽がある事が人として自然な姿です。
そしてそれを否定してはいけません。
悟りとは、煩悩を消すことにあらず、受け入れることが第一歩です。
辛い修行とは、そこに気づくための事柄です。
生前、お世話になった師僧の父。
式中、少し涙が出そうになりましたが怺え、感謝の心で送り出しました。
「ありがとうございました」 と、心より御礼を伝える事ができました。
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