昨日、5月1日は御在所の山開き、「戸開式」です。
今現在、御在所の修験は、ほぼ断絶いたしております。
当院近郊の修行のお山であることから「御在所修験」の復興を目指し、講社を立て微力ながら活動いたしております。
その行事の一つ、年始めの行事がこの「戸開式」です。

《中道 道中の地蔵岩》
5月1日の「戸開式」から9月30日の「戸閉式」、この間は度々お山に入り修行させていただきます。
冬の間は里行となり、勉学に励みます。
昨日は僅かではありますが、講員の方々と山頂にて御在所大権現さま、長者池にて八大龍王さまにお詣りさせていただきました。

《御嶽神社》
御嶽教、行者覚順さんが「偶々鈴鹿山系の主峰御在所岳が神霊安置の地に最適なり」と明治17年に小社を建立し木曽の御岳神社の分霊をここに移しました。現在の社殿は昭和39年に建立されたものです。

《長者池 八大龍王》
明治時代、矢田甚太郎氏がこの池で炊事のとぎ汁が早く澄むのを不思議に思い池の畔で不眠の行を成すと、霊気を授かり『彼の手に撫でられた者の病気は全て完治する』という評判で財を築いた事になぞらえ、この池を「長者の池」と呼ぶ様になったのが、名前の由来です。
御在所岳山頂より御嶽神社へ向う途中に岩の間から清水が湧き出ている小さな池がある。明治の中頃、山の案内人として寝泊りしていた千草村の甚太郎の夢枕に竜神が現れ、どんな病気でもたちどころに治してしまうという霊感を授かったという。その後、甚太郎は巨万の富を得て、公共事業に多額の寄付をして村人に慕われました。

《長者池 八大龍王》
この「長者池」は山頂にもかかわらず、湧きだす水が枯れたことがないそうです。
そして大変綺麗で澄んでいます。
上記のような謂れから病気平癒の祈祷の際、閼伽水としてありがたく使わせていただいております。
また、御在所入峯修行の際には一口、いただいてきますが、真夏でも冷えていて、大変美味しいです。

《長者池 謂れの石碑》
この石碑には「長者池」の謂れが刻まれています。
この日の下山は、悪路によりルートを模索しつつとなり途中日が暮れてしましました。

お山は曼荼羅です。
仏に身を投じ、修行させていただいたことに感謝です。合掌
今現在、御在所の修験は、ほぼ断絶いたしております。
当院近郊の修行のお山であることから「御在所修験」の復興を目指し、講社を立て微力ながら活動いたしております。
その行事の一つ、年始めの行事がこの「戸開式」です。

《中道 道中の地蔵岩》
5月1日の「戸開式」から9月30日の「戸閉式」、この間は度々お山に入り修行させていただきます。
冬の間は里行となり、勉学に励みます。
昨日は僅かではありますが、講員の方々と山頂にて御在所大権現さま、長者池にて八大龍王さまにお詣りさせていただきました。

《御嶽神社》
御嶽教、行者覚順さんが「偶々鈴鹿山系の主峰御在所岳が神霊安置の地に最適なり」と明治17年に小社を建立し木曽の御岳神社の分霊をここに移しました。現在の社殿は昭和39年に建立されたものです。

《長者池 八大龍王》
明治時代、矢田甚太郎氏がこの池で炊事のとぎ汁が早く澄むのを不思議に思い池の畔で不眠の行を成すと、霊気を授かり『彼の手に撫でられた者の病気は全て完治する』という評判で財を築いた事になぞらえ、この池を「長者の池」と呼ぶ様になったのが、名前の由来です。
御在所岳山頂より御嶽神社へ向う途中に岩の間から清水が湧き出ている小さな池がある。明治の中頃、山の案内人として寝泊りしていた千草村の甚太郎の夢枕に竜神が現れ、どんな病気でもたちどころに治してしまうという霊感を授かったという。その後、甚太郎は巨万の富を得て、公共事業に多額の寄付をして村人に慕われました。

《長者池 八大龍王》
この「長者池」は山頂にもかかわらず、湧きだす水が枯れたことがないそうです。
そして大変綺麗で澄んでいます。
上記のような謂れから病気平癒の祈祷の際、閼伽水としてありがたく使わせていただいております。
また、御在所入峯修行の際には一口、いただいてきますが、真夏でも冷えていて、大変美味しいです。

《長者池 謂れの石碑》
この石碑には「長者池」の謂れが刻まれています。
この日の下山は、悪路によりルートを模索しつつとなり途中日が暮れてしましました。

お山は曼荼羅です。
仏に身を投じ、修行させていただいたことに感謝です。合掌